発達+毒親+婚活
ブログ村に登録してみたりした。
しかし私は数字というものが苦手である。
可能な限りこれからも管理画面は見ないと思う。
それでも承認欲求みたいなのはあるんだよね。
届く人には届いてほしいみたいな。
だからブログのタイトルもまんまにしてる。
それで今日書く話題。
何十苦だかわからない私はオタクでもあるので、正直自分の幸福を考えるよりも推しカップルの幸せを考えたほうが何十倍も何百倍も幸せになれる。
そんな私も友人の挑戦に触発されて婚活を少しだけしていたりする。
結果は全く出ていないから開店休業。高齢喪女万歳!!
(ちなみに私はあと数か月で40である)
こんな私だが、数年前まで自分の親を理由に結婚というものを考えられなかった。
なぜかといえば、単純に結婚相手に自分の親、家族を背負わせたくなかったからだ。
私がいなくなるまでは罵りあう以外は家庭内別居を続け、いなくなったら離婚した両親。どこにいるかもわからない兄を持つ私は、普通の家庭で育った人たちには重いだろう。
そういうものを背負わせるのは、自分が好きになった人にほどさせたくなかった。
好きな人には幸せでいてほしい。
それが少し抜けてきたのが、ここ数年の話だった。
それでも幸せになる権利もあるのではないかと、どこか後ろ向きに始めたのが婚活。
恋人のこの字もなかった友人に婚活で彼氏ができた。
これを機会にしないと一生やらない気がして私も始めた。知能検査を受けて結果待ちをしている間の話だ。
結果が出て、薬という既成事実を作ってしまい、今度は自分そのものも扱いづらいものになってしまった。
結婚する相手には私は発達障害だと、言わなければいけなくなった。
私は若くはないし、離婚した両親とは半絶縁状態で、実兄の居所は知らなくて、私は発達障害を持っているけど、結婚してくれますかなんて、言えない。
美人か高給取りかの能力があるか学があるかだとしたら、なにか違ったろうか。
少なくとも、相手に感じる負い目はそれなりに減っていたと思う。
それでも自分を好きになってほしいなんて、思ってはいけないんだろうか。
両親については、歳をとって、それが少し許されたような気がしたんだ。
発達障害 婚活 と検索すると何気にひどいことが書いてあるページが二個目(?)に出てきたりするし、ちょっとくくると自分が発達障害だったら婚活しなかったかもしれないと書いてあるブログも出てくる。
正直な感想かもしれないが、正直辛い。
また違うものには障害は隠して、あとからネタバレしようと書かれている。
正道なんだろうか。私はその負い目に潰されそうになる。
悪いな悪いなと思いながら、その人に会い続けなければいけないのか。
ならば最初から書いて否定されたほうがいいってバカなのかなぁ。
でも結婚って、お金が稼げてたら自分はそこまで考えなかったと思うんだ。
だから、ダメなのかなぁ。
お金稼げてたらもっと余裕もって婚活できただろうなぁ。
婚活の話なのに結論すべては金ですねになってしまう。
結婚相談所に登録するのだってまとまったお金ないと頼めないしね。
余裕って大事だよなぁ。